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Guardian Garden

2014 my fictitious diary

 

 

 

 

 

終わりのない人形劇

 2005年、若手の発掘イベント「GEISAI」で、初めて小田原亜梨沙の作品を見た。レトロな服装のぽっちゃりした女性が、二人ないしはそれ以上、反復して描かれた不思議なドローイング。カラフルに塗られた服の柄が目をひき、そのフラットで軽妙なグラフィック感覚と、黒目のない人物達の虚無感が妙に印象に残ったのだった。
 水彩を中心に、鉛筆やペンも使って描かれる彼女のドローイングは、その後も創作の基盤になっていったようだ。勢いのある線やタッチが装飾的に画面を彩り、相変わらず不可解な女性や男性像を中心に、スイーツやコスメ、牧歌的な風景が、連想ゲームのように画面に登場した。青木陵子やスーザン・チャンチオロといった、ドローイングを重視する同時代のアーティストとも、うっすらどこかで繋がっていた。
 そんな彼女の作品が変化したのは、「my fictitious diary」という空想日記を描き始めた、2008年頃からだった。複数の男女が家の中やリゾートで繰り広げる、ちょっと意味深な人間模様。一枚のドローイングとしばしば英語のコメントで表されるその日記は、題名を知らなければ、他人の日常をのぞき見する好奇心で興奮が倍増しただろう。けれど、海外のメロドラマを思わせるステレオタイプな雰囲気と、女性の背後に骸骨がいたりする突拍子のなさに、
これが想像の物語だということが明らかになる。そして、観客の別の想像力に火が付けられる。
 三日に一度は描き、すでに十冊近くにもなった空想日記には、実は50ものエピソードが平行して起きているのだという。小田原は、そうして日々、ゲームのように物語を膨らませていくことで、絵を描くことが自然に続けられると、打ち明ける。中には、細部を変えて繰り返し描かれる場面もあり、それがキャンバス画などに転じるケースも増えてきた。マネキンのように戯画化された世界が、絵画の中では抽象化され、別の意味を帯びて見えることが興味深い。幼い頃 、息を潜めて大人達の様子を伺い、その成り行きをこっそり空想していた小田原は、人形遊びのように自分の世界を絵の中に描き表してきたという。その後、独学で試行錯誤した彼女の想像世界は、木々が枝葉を広げるように、つぎつぎと作品として展開し始めた。
 今回の展覧会では、地上と地中が舞台になるらしい。あの奇妙な人々が、今度はどんな風に活躍するのか、今から楽しみだ。

Jul 2012 宮村周子 Miyamura Noriko(編集者、ライター)

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